ファミリーハウス通信
福岡ファミリーハウスは年に2回通信を発行し活動の報告を行っております。

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最新版

2022.01

心陽ちゃんお母さん寄稿
~ 心陽の生きてきた足跡 ~

今回、高原さんよりご連絡を頂きまして心陽の頑張りをこのような形で綴らせてもらえる機会を頂けた事を嬉しく思います。

心陽の生き抜いた8年間のエピソードは全てが大切な時間でまとめるのは容易ではありませんし長く伝わりにくい部分があるかとは思いますが読んで頂けると幸いです。

2013年2月12日。出産予定日を11日遅れて3436gの元気いっぱいに産声をあげた心陽が生まれました。 「心に陽が当たる。笑顔いっぱいに心優しく、芯の通った素敵な女の子になってほしい。」そんな願いを込めて、心陽(こはる)と名付けました。

この8年間を振り返ると、由来通りの女の子に成長してくれたと感じます。 赤ちゃんの頃から成長が早く10カ月を迎えるころには歩き出し、1歳を迎える頃には私がお化粧をする所をじっと見たり、目を離している隙に口紅を顔中に塗っている事もありました。この頃からプリンセスや女の子らしい遊びが大好きでした。

2歳の七五三を迎えて、クルクル髪のまつ毛も長く、益々女の子らしくなる心陽の成長が楽しみで仕方がありませんでした。 しかし、七五三の後すぐ高熱や咳込みが続いていたので肺炎を疑い検査をした所、白血球の数が約17万と異常値でその日に予想もしていなかった入院となりました。

咳もひどく酸素濃度が90前半だったので酸素も開始されて、翌日には宮崎大学病院へ搬送されました。 思えば、熱を出しはじめる少し前から夜になるとグズる事も多かったし、お出かけしてもあまり歩きたがらなくて抱っこ抱っこだった事、食欲もいつもよりなかった事、おでこをぶつけた痣も1カ月経っても消えにくかった。色んな事を思い返し、どうしてもっと早く大きな病院へ連れて行かなかったのか後悔が頭をめぐりました。 大学病院についてすぐ骨髄検査をしました。

2015年11月29日「急性骨髄性白血病」の診断。ドラマの世界だと思っていた“白血病”の文字が目の前に現れて、なんで心陽が?2歳9カ月の今の今まで熱も出さない子で、元気いっぱいな子なのに。 先生の言葉全てがウソなんじゃないかと全く何を話しているのか理解ができませんでした。

そんな気持ちも追いつかないままに、その日から色々な検査や、抗がん剤治療の為のCV挿入手術が進められていきました。CVが心陽の命綱になるとわかっていても、胸に入った管に心が痛みました。 抗がん剤で髪も抜けてしまうので生まれてからずっと伸ばしてきた髪を切り、その髪で赤ちゃん筆を作りました。

まだ2歳の心陽も、急な環境の変化と次々に色んな検査や毎週のCV消毒が怖くて最初のうちは看護師や先生の姿を見るだけで何をされるか分からない恐怖から冷や汗をかいていました。 だけど、慣れるのも早くて、消毒は最後まで嫌だったけど苦いバクタは始めの頃は何時間も口に溜めこんでなかなか飲み込むことが出来なかったけど、後半は牛乳で飲めるようになり、8歳になった最後まで薬は全て牛乳で飲んでいました。

当時、骨髄性の長期生存率は60%だと説明があり、心陽の場合も標準リスクで治療はとても順調に進み、血球が下がった時は粘膜障害でお尻が痛いなどの辛さはありましたが、その他は熱を出しても走り回れる元気があって約半年で退院する事ができました。 「こんなに元気に治療を終えた子は初めて」と先生に言われたくらいでした。 一般病棟から隔離されたクリーンエリアから脱走したり、ベッドの上で跳ねて看護師に注意される事もよくありました。

3歳で退院して、順調に治療も終えたのでこの先は元気な心陽の成長を見ることができると信じて疑いませんでした。 1年間は、免疫の関係で保育園へ通わずに自宅で過ごしていました。

人見知りを全くしない子で公園へ行くと知らない子でも自ら声をかけてすぐ仲良くなって遊んでいるような子でした。4歳の年中から保育園へ通いはじめて、歌や踊りが大好きなので覚えたての歌や踊りを家でよく見せてくれました。 私も復職をして朝早くから夕方まで預けるようになり、親子別々に過ごす時間が長くなりました。その時から手前の空き地に車を停めて「大好きギュー!今日も頑張るギュー!充電ギュー!」のハグでお互い1日の充電をして送り出すのが親子の習慣となっていきました。

年中から年長へ進級して、退院から2年が経ち外来も順調でこのまま5年を迎えて完全寛解すると思っていた矢先、2018年7月頃から白血球マーカーがじんわりと上がりだし、外来で慎重に診て頂いていましたが、やはりマーカーが上がるので2年ぶりに骨髄検査をする事になりました。 心陽は変わった様子はなく元気だったので、その時までは特に深刻に考えていませんでした。

しかし、1週間後の2018年9月17日。今度は「急性リンパ性白血病」での再発だと言われ、骨髄性ではなくリンパ性?全く想像もできなかった事態に頭が真っ白になりました。 先生方もまさかと思ったらしく、骨髄性からリンパ性での再発は症例が少なく、極めて稀な発症のしかただそうです。

初発の時のように%での提示ができないので、都度骨髄検査などで治療効果を判断しながら最適な治療を選択していくことになると説明がありました。 年長になり、ある程度の物ごころもついて誤魔化しのきかない心陽になんと伝えるべきかすごく悩みましたが「こはるの身体の中にまた悪いばい菌がでてきたからやっつけようね」と話しました。 心陽は「そうなの?また入院するの?」とその時はキョトンと聞いていました。

どうしてまた心陽が?という脱力感と恐怖が一気に押し寄せてきて、また辛い治療が始まるのかと思うと申し訳ない想いで胸が張り裂けそうでした。

詳しい検査結果が返ってくると、初発の時すでにリンパ性細胞もわずかに潜んでいたようで、それが2年を経て再燃したようです。つい先日、運動会で元気に走っていて、ランドセルも届いたばかりで皆と小学校へ行く日を楽しみにしていた心陽。

この2年、心陽の身体の中で密かに活動する機会を待っていたのかと思うと悔しくて憎くてたまりませんでした。そして、この時中枢神経への侵潤も見つかり高リスクとなり心陽の命を繋げる為には骨髄移植が必要となりました。幸い、フルマッチのドナーの方が提供してくださる事になりそこで移植の為に九州大学病院への転院が決まりました。 また環境が変わり不安でしたが、心陽は持ち前の社交性を発揮してプレイルームや同室の子達に積極的に声をかけてすぐ友達をつくって遊んでいました。

ただ、この入院で一度だけ口内炎が酷く辛い時、寝る前に泣きながら「どうして私だけこんななの?どうして私だけ怖い夢を見るの?夢だけは楽しい夢を見たいのに。こんなに頑張ってるのに!」と初めて感情を爆発させました。

この時、転院する前に退院したらディズニーランドへ行く約束をしたので「ママがディズニーランドの雑誌を買ってくるから、移植を頑張って退院したらこはるが行きたい所、やりたい事いっぱい考えよう!それで、怖い夢なんか吹き飛ばしちゃおう。こはるが良い夢を見られるように楽しい事いっぱいしようね」と2人で泣きながら話をしました。 そんな私たち親子の想いに家族や、親戚、友達、先生方みんなが協力してくださいました。

ハロウィンパーティーにクリスマスパーティー。コロナ禍ではあったけど友達に集まってもらいサプライズで8歳の誕生日パーティーをして心陽を驚かせたり、また行きたいと言っていたハーモニーランドやディズニーランドへも連れて行く事ができました。そして、もうひとつは、ずっと猫を飼いたいと言っていたので 5月に縁あって子猫を譲ってもらえる事になり「私は、虹が好きでしょ?だから、虹に輝くでニキはどう?」とニコニコ話し「ニキ」と名付けた黒猫を「私がママだから!」と、とても可愛いがっていました。

その間、熱を出したり、鼻血が止まらなかったり、左下肢に感染を起こしたり、血小板の消費が早く週に2~3回は輸血の為に通院は必要で決して順調とは言えなかったけれど、12月に再発してから半年を超えてくれて、夏前には再発してから一番調子がよく過ごせていたので、このまま9歳を迎えられるんじゃないかとさえ思っていました。

しかし、8月に入った頃から熱が続きCRPが上がってきたので入院となりました。3月にも一度熱とCRPの上昇で入院していましたが、その時は2週間ほどで退院できたので、その時と同じような感覚で熱さえさがれば退院できると思っていました。

だけど、今回はEBウイルスが見つかり肺炎を起こしている事もわかり体調の変動に一喜一憂の日々がはじまりました。最初のうちは頑張ってトイレに座ったりとできていましたが、徐々に自ら起き上がる力が入らなくなっていき「なんでかな?今までで一番元気がでないんだよね」とボソッと言った事がありました。

それがもどかしい気持ちと、自分の身に何が起きているのか怖い気持ちから、情緒不安定が続いていました。それでも、少しでも元気があると物作りが好きな心陽は、先生とパズルをしたり工作をしたりと何かしら作ろうという気持ちは強かったし、病室の外から声が聞こえると最後まで「私も部屋から出て友達をつくりたい」と話していました。

首やお腹の痛みも出始めて、胸水や腹水が溜まり白血病細胞の増殖が抑え込めなくなっていき酸素も必要になりました。一度、心臓の動きが悪くなりその日が危ないかもしれない。となった日もありましたが少しずつ回復してくれて、奇跡的な回復と共に身体の動きもよくなってきて洗髪や足浴をしてもらい「気持ちいい~」と喜んでいて、本当にこの子の生命力は強い。凄い子だと私の方が励まされました。 そんな時、もう一つどうしても叶えてあげたい事ができました。

「ママ。少し早いけどサンタさんにお手紙書いちゃった。早くお手紙出したらもしかしたら早く来てくれるかな?」と話したのでこっそり読むと

“さんたさんへ
かみのけをのばせたらのばしてください
できたら、びじょとやじゅうのレゴをください
それとLOLをください
こはるより                 “

と、書かれていました。

そこで、担当の看護師に相談をして先生方が協力してくださる事になりました。

「あわてんぼうのサンタクロース作戦」私は、心陽へのプレゼントを用意しただけであとは先生方にお任せでした。

心陽には「サンタさんにお手紙出してきたから早く来てくれるといいね」とだけ話して、心陽はサンタがきたときの為にクッキーをあげるからと準備をしていつ来るか分からないサンタを楽しみにしている様子でした。 心陽の体調の良くない日や不穏が続いて予定していた日から1週間過ぎていましたが、心陽の調子のよさそうな今だ!というタイミングで決行して頂きました。亡くなる2日前でした。

心陽と面識の無い先生がサンタ役を引き受けてくださり、サンタが部屋に入ってくると、初めはキョトンとしていましたがサンタだと分かると「サンタさんだ」とパッと嬉しそうな表情に変わり、目をキラキラさせて8月に入院して以来、久しぶりに心陽の自然な笑顔を見る事ができてとても感動しました。

サンタが部屋を出るまでずっと手を振っていて、サンタが部屋からでると「夢じゃないよね?」と嬉しそうで「お手紙出したら本当に来てくれたね!しかも会いに来てくれたね!」と話すと本当に良い顔で笑っていて、協力してくださった先生方には感謝しかありません。

2歳の初発から診て下さっていた先生方、最後の最後まで治療法を模索され試せる事は試して、なんとか1日でも長く元気な心陽でいられるように尽くしてくださいました。

翌日の夕方は咳が止まらなくなり痰もあがるので自らコールを押して大好きな先生を呼んで「頑張るから奥にチューブいれて」と吸引を頑張り、その日の夜は酸素濃度も安定し落ち着いていました。

9月26日午前中はとても穏やかに過ごしていました。

お昼頃から再び痰がらみの咳が止まらなくなりここでも「がんばる」と吸引しましたが、酸素濃度が90から上がらなくなっていきました。

呼吸が辛い為、眠る薬(痛み止め)を強めます。と告げられた時この時がきてしまったのかとまだ覚悟しきれていませんでした。県外へ住むイトコ達とテレビ電話を少ししました。イトコ達からの「こはるー!また一緒にディズニー行こーね!」の声かけに「うん。うん」と大きく頷いていました。 最後はベッドの上で抱っこをしながら、寝る前の親子の習慣に変わっていた「大好きギューー!いっぱいがんばってるギュー!(おやすみギュー!)充電ギュー!」を沢山しました。

意識が薄れていくなかでも「だいすきギュー!」を言ってくれて、最後の言葉は小さく「ママ・・」と呼んでくれました。私もたくさん心陽の名前を呼びました。 「ママずっといるからね。大丈夫だよ。怖くないよ」とも話したような気がしますが、心の中はずっと嫌だ、ごめんね、叫んでいました。

2021年9月26日午後3時1分。私の腕の中でとても穏やかな表情で眠り姫になりました。 最後の1ヶ月は毎日が壮絶でしたが、それでも最後の最後まで「がんばる」と強い気持ちで心陽らしく生き抜きました。

私が抱っこをする前に、心陽の大好きな先生方や看護師にも「大好きギュー」のハグをしてもらいました。日曜日だったにも関わらず、ほとんどの先生ともお別れをする事ができ感謝でした。 心陽が周りに与えた影響も大きいようで、話を聞く度に心陽は色んな所に良い種をまいたのだなとこの子の母になれた事を誇りに思います。

一度、学校で少し意地悪をされた時があったらしくて、私が「そんな子の事は気にしないで仲良くしてくれる子達と仲良くしたらいいよ」と話すと、それじゃダメなんだ!それじゃ楽しくない!私は、みんなと仲良くなりたいから、その子とも仲良くなれるようにがんばる!と泣きながら訴えられた時はとてもびっくりして、誰に対しても公平に接しようとする姿勢にまた教えられました。

わがままな所はあるけど、自分の意見をしっかりもっていて、友達が大好きで、みーんなと仲良くなりたい。とよく話し、おちゃらけて人を笑わせる事も好きだった心陽の周りには、いつの間にか友達が増えていて心陽がつないでくれた沢山の縁の中で、かけがえのない時間を過ごさせてもらいました。

オシャレやプリンセス、女の子らしい遊びが大好きで、自分で色々と考えて物を作る事も大好きでクリエイティブな子でした。そして、心陽の人生のほとんどは病院と共にありましたが二人三脚で、一生分の母子の濃い時間を過ごさせてもらった事が幸せな日々でした。

決して、良いママではなかったけど心陽に本当に沢山の大切な事を思い出させてもらい、気づかされました。当たり前に明日が来る事がどんなに幸せなことだったか、教えてもらいました。

心陽のお通夜、告別式にも沢山の方が来てくださり、全校生徒が心陽にお手紙を書いてくれて心陽に持たせました。私の知らなかった学校でのエピソードも沢山あり、みんなの中ではいつも向日葵みたいにニコニコ笑顔の子だと、印象に残っているようで嬉しくなりました。 虹が好きだったので虹が出ると「こはるさんは虹の神様になったんだよ」と、クラスの子達の間ではいつの間にか虹の神様に昇進しているようで微笑ましく思います。

心陽が亡くなり100日が過ぎました。どこかではまだ信じられない気持や、悔しい気持ち、あんなに毎日、後悔の無いようにと過ごしてきたけど、あの時もっとこうしてあげれば良かったという後悔や、どんな女の子に成長していくのか、ずっと側で見守っていきたかった想いはどうしてもあって毎日泣かない日はありません。 だけど、心陽が頑張って生き抜いてきた分、私もまた笑顔で大好きギュー!のハグで心陽を迎えに行ける日まで、一日が終われば、一日心陽に会える日が近づくと思いながら一日一日を大切にしっかり前を向いて心陽の分まで生き抜いていく気持ちで過ごしていきます。

こはるー!ずーっと大好きギュー!
心陽のママにしてくれてありがとう。

8歳7ヶ月と14日。
こはるが生き抜いてきた足跡を最後まで読んでいただきありがとうございました。